由緒・御祭神

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由緒・御祭神

御祭神

誉田別命 坂上田村麻呂 田村輝定

例祭日

4月18日 田村神社
9月15日 一関八幡神社

由緒

当神社は延暦年間(782~806)坂上田村麻呂が東夷平定の際館山(現釣山公園)に陣営を敷き、諏訪の大神(長野 諏訪大社)に勝利を祈願したのが紀元とされ、その後、康平四年(1061)源頼義、源義家が安倍貞任征伐【前九年の役】の折、田村麻呂と同じく館山に陣を敷いた際、合戦の祈願のため伊勢の神宮、京都の石清水八幡宮へ、中原大夫清房を奉幣使として使わせたところ両宮の大御神の御神託を賜り、この地域の八方に八幡宮を勧請した内のその第一社です。

天正二年(1574)相殿に八雲神社、文禄(1593)諏訪神社を再奉し寛文二年(1662)藩主伊達宗勝により現在の地へ遷座され以来現在の地に奉斎されています。
元禄七年(1694)初代田村藩主、田村建顕は一関に赴任した際、この地に坂上田村麻呂を慕う人々が多いことから伊勢へ伊藤惣助を代拝参宮へ使わした折、土山(滋賀県甲賀市)に鎮座する田村社の御分霊を田村神社として当社の相殿へ併せ祀り以来藩主田村氏の崇敬神社また一関(現市街地)の総鎮守としてお祀りされています。また現在千畳敷(釣山公園)へ鎮座している田村神社は、大正時代に田村家江戸屋敷邸内へ祀られていた御社を遷座したものです。明治四年郷社、明治八年村社、昭和五年再び郷社に列します。

昭和四六年十二月 社殿が全焼し貴重な文化財(田村建顕公、射的奉納弓矢、算額等)を焼失してしまいましたが、当時オイルショックの不況下の中、氏子崇敬者の篤い奉賛により昭和四八年現在の御社殿が再建されました。